タレント、俳優、お笑い芸人、落語家であり、ラジオパーソナリティとしてもマルチに大活躍の伊集院光さん。
そんな伊集院光さんの芸歴は落語家から始まりましたが、伊集院さんの落語の師匠は誰なのか気になりますよね。
実際に師匠が誰なのか、どのような経歴の持ち主なのか、師匠から見た伊集院光さんはどんな弟子だったのか?
そこで今回のこの記事では、
伊集院光さんの師匠が誰なのか?
伊集院光さんの師匠の経歴は?
主にこの2つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、伊集院光さんの落語の師匠は超大物であることが判明したので、
ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
伊集院光の落語家時代の師匠の名前は?
ラジオから聞こえる伊集院光さんの話はとても分かりやすく面白く、とても話術に長けていますよね。
それもそのはず、伊集院光さんは落語家として芸能界に入ったからです。ご存じでしたか?
1984年、高校3年生17歳の時伊集院光さんは三遊亭楽太郎さんのもとに弟子入りしました。
三遊亭楽太郎さんをご存じの方は多いと思いますが、後の六代目三遊亭円楽さんです。
三遊亭円楽さんのことは知らない人はいない超大物ですよね。(もし知らなくても大丈夫ですからね)
伊集院光さんは「落語界に明るい人」の紹介で、六代目円楽(当時、楽太郎)さんに会うことができたそうです。
そして、初対面で5分後に弟子入りの許可が出てしまったとのこと。
弟子入りがこんなにあっさり決まってしまうなんて、伊集院光さんは物凄く「見どころのある子」だったのでしょう。
でも、それは違うみたいでこんなことだったそうです。
紹介してくれた落語界に明るい人=五代目圓楽さんの弟さん
伊集院光さんの師匠(六代目円楽さん)からすれば、大師匠の弟さんからの紹介ですから断れないわけです。
でも、そんなことを知らない伊集院光さんは、その弟さんのことを師匠に言ってみたわけです。
そしたら、5分で弟子になれちゃったという感じだったみたいです。
伊集院光さんは二ツ目の時期に師匠に内緒でラジオ出演を始めたそうです。
これが大人気になったそうです。
これがきっかけで、落語の道を離れてラジオパーソナリティとしての活動に専念することにしました。
それでも師匠の円楽さんは伊集院さんを破門にせずに休業扱いとして良好な関係を維持してきたようです。

伊集院光の落語家時代の師匠の経歴は?

六代目三遊亭円楽さんは昭和25年2月8日に横浜で生まれ、東京の両国で育ったそうです。
本名を会泰通(あい・やすみち)といいます。
六代目円楽さんは青山学院大学法学部在学中の昭和45年に、五代目三遊亭圓楽に弟子入りしました。
入門当時の前座名は三遊亭楽太郎でした。名づけは師匠五代目圓楽さんの師匠である三遊亭圓生さんです。
昭和52年には、テレビ番組「笑点」の大喜利メンバーに抜擢されて人気者になりました。弱冠27歳でした。
その4年後の昭和56年に真打ちに昇進しました。
東京の落語界は、前座⇒二ツ目⇒真打の3段階ある「真打制度」という身分制度があります。
楽太郎さんは入門して11年で最上位に昇進ということです。
真打に昇進すると高座名に改名するそうですが、楽太郎という命名が大変気に入っていたらしく改名しませんでした。
ちなみに、大阪を中心にした上方落語界にはこのような身分制度はないそうです。
平成22年に師匠の五代目圓楽さんが亡くなりました。
楽太郎さんはその年に六代目円楽を襲名しました。
六代目円楽さんは、落語の高座を中心に、「笑点」やドラマなどのテレビをはじめ、ラジオやCMにも出演しました。
意外かもしれませんが、昭和 55 年からは、税務大学校講師もつとめていました。
円楽一門のリーダーとして活躍し落語界にも大きな影響を与えたようです。
令和4年9月30日に他界するまで、長いキャリアを通じて多くの業績を残しました
まとめ
伊集院光さんの落語の師匠は、六代目三遊亭円楽さんでした。まさに超大物です!
伊集院さんは師匠に内緒でラジオ出演を始めて人気を博しました。
そして、ラジオパーソナリティに専念することにしましたが、師匠は破門にせず良好な関係を維持してきたようです。
師匠の六代目圓楽さんの器の大きさを感じますね。
伊集院光さんは、本当に良い師匠に恵まれたと思います。
はっきり言って僕は羨ましいです。僕もこんな師匠が欲しいです!!
伊集院光さんの進化する話術と益々のご活躍が楽しみですね!
それでは、ありがとうございました!
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